外国と色々なレベルで交流を深めることが戦争を未然に防ぐのに無益だとは決して思いません。いくつか歴史に残る具体的国際交流の例に触れてみます

1)議会政治の父と呼ばれた尾崎英雄(咢堂)は東京市長だった明治45年(1912年)ワシントン、ポトマック川畔に日米親善目的で桜を6040本送り今も毎年桜まつりが行われています。大正四年(1915年)にはアメリカ側から感謝のしるしとして、ハナミズキが日本に届けられました。

2)1927年、アメリカから、日米の親善を願って約12,000体の可愛い人形が、太平洋を越えて日本に贈られ日本では「青い目の人形」と呼ばれ人々に親しまれました。排日移民問題が過熱する日本とアメリカの児童たちの間に、友情交流を結ぶのが目的です。お礼にアメリカに日本の人形を送る人形計画に賛同した渋沢栄一は日本国際児童親善会を設立して、外務省や文部省にも協力を依頼しこの人形交換計画を実行しました。

3)有力な外交官レベルの国際結婚も多数ありました。①戦後駐日アメリカ大使を務めた日本生まれのライシャワー氏は松方ハルさんと結婚(再婚)し、②戦後マッカーサーの腹心ボナーフェラーズから依頼を受け天皇独白録作成に関与した元駐米日本国大使館勤務の寺崎英成氏の夫人は米人女性グエンさんでした。

しかし日米間でこれら数多くの親善・交流が行なわれていたにも拘わらずその後日米は戦争の道を選びました。

お互いに巨大な軍事力(自衛隊・米軍)を抱えながら草の根交流をいくらやっても真の恒久平和を実現することはできない歴史的証拠です。

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2021年12月15日  記

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