今回のロシアとウクライナの問題も東西ドイツ統一時に西側とソ連の間で合意したNATOの東方不拡大の約束を西側が破っている、とロシア側が考えていることに遠因があるともいわれる。
1991年の東西冷戦終結時に旧ソ連側の軍事同盟(1955年調印のワルシャワ条約機構)は解体された。それにも拘わらず西側の軍事同盟NATO(1949年調印)はソ連という敵が消滅した現在も相変わらず存続するばかりか旧ソ連諸国に工作の手を伸ばして勢力拡大をやめようとしない。
私自身振り返ってみても、冷戦終結で軍縮をすすめるべきだった西側諸国の動きにまったく無関心だった。
日本もせっかく訪れた恒久平和実現のチャンスをみすみす逃がしたと言えよう。 東西冷戦が終結したのち日本にも日米安保条約の見直しに取り組む動きはあった。
38年ぶりに自民党から政権交代を果たした細川首相は1994年2月渡邊昭夫東大名誉教授を中心とする防衛問題懇談会を立ち上げて日米安保条約の見直しを始めた。しかし米政府(国防総省日本部)はこれを日本のアメリカ離れの危機と考え、日本の防衛庁の職業軍人や力による安全保障しか考えない日米同盟重視派外交官を巻き込んで強く干渉した。
懇談会がまとめかけていた「日米2国間安保から多国間安全保障へ」との提言に日米の軍人と官僚が呼応して横やりを入れ続けたのだ。この動きのアメリカ側中心人物はジョセフ・ナイ、ジェームス・アワー、リチャード・アーミテージなどジャパンハンドラーと呼ばれるグループである。
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―To be continuedー
2022年3月13日 記
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