今日は元東芝原発技術者の小倉志郎さんの担当です

―以下小倉さんの寄稿文からの引用―

 欧州でウクライナ戦争が勃発して、殺伐とした情報が洪水のように流れる現代から、しばし、天下泰平の260年平和が続いた江戸時代にタイムスリップしたい。時は元禄時代(1688~1704)の末、1701年江戸城内で播磨赤穂藩主浅野長(ながのり)が吉良義央(よしなが)を切りつけるという事件が起きた。城内で刃傷沙汰を起すという掟破りをした浅野長矩は切腹・領地没収という当然の処分を受けた。一方の吉良義央はお咎め無し。長矩は「加害者」、義央は「被害者」だから、徳川家宣将軍の処分に文句のつけようはない。

 しかし、ことはそれで収まらなかった。事件が起きる前の吉良義央の仕打ちを知っていた江戸の庶民の間では「少なくともけんか両成敗でなければおかしい。将軍様のお裁きは不公平だ」という世論が盛り上がった。18世紀の江戸のメディア状況はどうであったか不詳だが、多分「瓦版」と「口コミ」で情報が共有されたのだろう。とうとう将軍も赤穂浪士が吉良義央に復讐をすることを黙認せざるを得なくなった。「被害者」に対する復讐も公には犯罪だから、赤穂義士47人は死罪の処分を受け、そのストーリーが基になって浄瑠璃・歌舞伎の「忠臣蔵」という名作ができた。見方によればこの名作は江戸庶民のバランス感覚が生み出したとも言えよう。今の「論理一辺倒」の感覚が充満する日本社会ではこんな作品は生まれないだろう。

2022年4月19日 記 小倉志郎

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