本日の担当は元東芝原発技術者の小倉志郎さんです

―以下小倉さんの寄稿文の引用―

 突拍子もないタイトルだが、正確に言えば「ウクライナのリーダーにもしも勝海舟のような人物がいたら」ということだ。

徳川幕府終焉の時、東海道を江戸目指して攻め上ってくる「官軍」に対して、幕府軍の最高司令官の地位にいた勝海舟は官軍に抵抗せずに、江戸城を明け渡すことを提案し、将軍徳川慶喜がそれを採用した。

その結果、江戸の市街は戦場とならず、江戸の庶民に犠牲者が出なかった(1867年4月)。

徳川慶喜は水戸に蟄居し、天皇による処分を待つ。

結局、70万石の小大名として領地を激減させられて移るようにとの処分を受けたが、徳川家は存続することができ、現在でも名家として存続している。

海舟も敗者の将でありながら、命を取られることもなく76歳の天寿を全うした。

江戸城を抵抗せずに明け渡した時点で、幕府側は海軍では官軍を圧倒しており、陸上軍の規模も官軍に劣らず、十分に互角に戦う力はあったが、江戸の庶民の命と暮らしを守ることを優先させ、且つ、自分が仕える徳川家を守るためにあえて「敗者」という不名誉を選択した海舟、それを採用した慶喜、それぞれに先見の明があったと言わざるを得ない。

 「歴史に“if”は無い」とはさんざん聞いているが、ウクライナ戦争はまだ「歴史」上の出来事と言うのは早すぎると思う。

今からでも遅くはない、国民の命と暮らしの被害を最小限にするために「不名誉」を選択するウクライナのリーダーが現れることを望む。

2022年4月21日 記 小倉志郎

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