今日は沖縄が日本本土に復帰して50年の記念日だ。

明日16日の東京新聞朝刊に本書「自衛隊も米軍も、日本にはいらない」の大型広告を掲載する(写真添付)。

なんとしても沖縄の基地問題の解消と改憲阻止の為、7月の参院選挙までに1万部以上は販売したいためだ。

広告文中に「本土復帰50年となる沖縄を日米の軍事基地から国際人道支援の拠点に」と書き込んだ。

平和の担い手としての女性に大いに期待するメッセージも埋め込んだ。

私が反戦平和運動に目覚めた原点は昭和28年【1953年】私が9歳、小学4年生(区立杉並第六小学校)の時に見た映画にある。

社会科の課外授業でクラス全員が先生に引率され高円寺エトワール劇場に映画を見に行った。

その時の上映映画が1月9日封切りしたばかりの「ひめゆりの塔ー津島恵子主演」だ。

迫真の映像をみて戦争の悲惨を知りどれほど大きな衝撃を受けたことか。

1週間ほど食事がのどを通らなかった。

国会で110回以上も大嘘をつき病気を理由に辞めておきながら今でも悪びれず公の席に顔を見せる安倍晋三元首相が生まれる前のことだ。

その5年後の昭和33年12月東京新聞の投書欄『反響』に掲載された私の投稿記事のコピー(添付)を見て当時の気持ちをあらためて思い出す。

今から約65年前、我が家にはラジオしかなかった時代の新聞の投書欄の記事も興味深い。

明日の東京新聞朝刊の広告コピーと共にご覧いただきたい。

2025年までに自衛隊をジャイロに衣替えして沖縄を「国際人道支援部隊ジャイロ」の拠点としたい。

そして近い将来、ジャイロが正式な国連の一機関となったあかつきには沖縄が世界の人道支援・災害救助活動の本拠地になる未来を展望している。

2022年5月15日 記

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