本日は小倉さんです
―以下小倉さんの寄稿文の引用ですー
家庭、職場、公共施設に「和を以て尊しとなす」の額が掲げられているのをしばしば見る。
これは聖徳太子(574~622)が定めた「十七条憲法」の第一条にある言葉だそうだ。
太子はその前年に「官位十二階」を定め前者と併せて、貴族階級の中の争いごとを防いだ名君と言われていて、現代においても尊崇されている。
私個人は、今の日本国憲法が1947年5月3日に施行される一ヶ月前の4月1日に小学校1年生になった。
だから、全ての人間はみんな平等であるという価値観を義務教育の最初から大人になるまで何の違和感もなく持ち続けていた。
学生時代が終わり、原子力産業の企業に就職して「社会人」になったが、働いている間に企業組織とはその価値観がまったく通用しない社会であることを厭と言うほど思い知らされた。
社員が職制によって上下のランク付けされ、大事なことは上位の社員が決定して下位の社員はそれに従う。
それに慣れない私は常にランクを無視して発言し、いわゆる「和」を乱す人間として知られるようになってしまった。
そのような私に対する会社の処遇がどうなったかは押して知るべしだ。
視野を広げてみると、他の企業も同様。
企業でなく役所、病院、学校においても同様。
日本国憲法が保証する人間の平等を尊重している集団など日本の中にほとんど無いことがわかった。
即ち、あらゆる集団の中に位階制がある。
これでは対等な関係での議論により多様な意見を出し合い、衆智を集めることなどできるわけがない。
日本社会の人間関係は「飛鳥時代」とほとんど変わっていないのだ。
2022年8月12日 記 小倉志郎
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