―以下本日担当の小倉志郎さんの寄稿文の引用―

 エーリッヒ・フロム著「自由からの逃走」を私が読んだのは1967~8年、新入社員だった頃だ。

私より歳は若いが、サラリーマンとしては先輩の社員から薦められてだった。

フロム(1900~1980)が1941年に書いた本だ。

今から50数年も前に読んだ本だが、大事なことを教えられたことが記憶に残っている。

それは「当時としては世界一民主的と言われたワイマール憲法の下でヒトラーが率いるナチス独裁政権が生まれたのは、親衛隊や秘密国家警察の暴力的弾圧によるのみならず、ドイツ国民が憲法によって与えられた自由を使うことから逃げたことも理由の一つだった」ということだ。

複雑な社会問題を調べたり、解決方法を考えたりすることが自由にできるのは民主的な社会が成り立つために必須のことだが、その自由を一人ひとりが駆使するには労力や時間がかかる上に、何より考えたり、想像したりするという「面倒さ」が伴ってくる。

そこに落し穴が生じる。

威勢の良い演説をする「英雄」のようなヒトラー総統にその「面倒な」ことを任せて、自ら考えることを放棄してしまったというのだ。

これが「自由からの逃走」である。

これが過去のことではなく、今の日本で再現されている。

「ナチスの手法を使い、国民が気が付かないうちに“改憲”をしてしまえばよい」などと与党の重鎮が言い、国会では絶対多数の与党により、憲法違反の法律が次々につくられて、憲法はあって無きが如しだ。

私たちは面倒だからと自由から逃げてはいけない。

2023年1月22日 記 小倉志郎

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