―以下本日担当の小倉志郎さんの寄稿文の引用―
「どこの家にも泥棒に入られないように戸締りに鍵をつけているでしょう。
自衛隊もそれと同じです。」
というたとえ話が世間にまかり通っていて、この「自衛隊=戸締り」論に出会うと戸惑ってしまうことがあるだろう。
なぜなら、南京錠、シリンダー錠、ダイヤル錠、暗号鍵など様々な形式の鍵があるが、皆、自分の家でそれぞれ何らかの形式の鍵で「戸締り」を行っているからだ。
しかし、「自衛隊=戸締り」論は実は典型的な詭弁だ。
1.先ず防ぐ対象が全く違う。自衛隊が防ごうとしているのは外国軍が侵入してきた時に対抗しようとするが、その時に外国は自分たちが攻め込むには「これこれしかじかの」正義があると主張しながら攻めてくる。
それに対して、こちらは「侵略に対して防衛する」正義があるとして対抗する。
即ち、両者が「正義」を唱え合って戦争になるのだ。
2.鍵が防ごうとしているのは、家宅侵入という不法行為を防ごうとするもので、相手が明らかに犯罪者であり、相手に正義は無い。
鍵をかけておいても、鍵と犯罪者が戦い合うなどということはない。
仮に犯罪者が鍵を壊そうとしても、パトカーが来れば、犯罪者は逃げ出すだけだ。
3.しかも、自衛隊は巨大な人間集団であり、且つ、破壊力の大きな兵器を備えている。
その自衛隊という集団が独自の意思で行動を起こす可能性もある。
あるいは、事実の誤認や武器の暴発によって戦闘を始めてしまう可能性もある。
即ち、自衛隊自体が戦争を起こすきっかけになる可能性があるのだから、鍵の喩えはまったく不適切だ
2023年5月18日 記
\この記事が気に入ったらぜひSNSでシェアしてください!いいねボタンも押して頂けるとうれしいです!/
戸締り論」は、よく引用される理屈ですね。
問題は、何を使って、戸締りをするかです。
我が家を守るために「鍵」や街灯を使いますが、それで「人殺し」はできません。
しかし、国を守る「武器」は、人殺しの道具です。しかも、多くを殺すほど優れた道具と評価され、人殺し道具競争に発展しています。
また、人は利巧者ですが、愚かな存在です。武器を持てば使いたくなり、武器を使えば
戦争になります。ウクライナを見ればわかります。
従って、私は、鍵はかけてもよいが、武器はダメ。非武装不戦を主張しています。
我が国の鍵は、各国の大使館に「非武装不戦」の看板・鍵を立てて、軍縮と平和外交を推進しましょう。