―以下本日担当の小倉志郎さんの寄稿文の引用―

 「継戦能力」とは聞きなれない言葉だが、戦争になった場合、当事国が戦闘を継続できる能力のことだ。

例えば、弾丸・砲弾・ミサイルなどの保有量が尽きてしまったり、あるいは、基地が攻撃されて戦闘員が戦死したり負傷してしまえば、その国は戦闘を続けることができずに敗北することになる。

従って、戦争に勝つためには「継戦能力」を維持しなければならない。

即ち、戦争に突入する前に、弾丸・砲弾・ミサイルなどの保有量を十分確保しておかねばならない。

また、基地が敵のミサイルなどで攻撃されても基地内の戦闘員が死傷しないように、地下に頑丈なシェルターを設置し、そこには戦闘を継続するための各種の設備を備えなければならない。

戦闘が長引き、戦闘に必要な物資が不足してきたら、外国から補給してもらわねばならない。

そのためには、今戦争中のウクライナが必要とする物資を提供しておかないと日本が必要な時に提供してもらえないのではないか。

そんな議論が我が国の国会議員の間で行われており、基地の強靭化など一部は既に実施が始まっている。

ところが、「継戦能力」の議論ですっぽり抜け落ちていることがある。

国民をどう守るか、および、原発をどう守るかという問題だ。

実は、戦争になったら、国民も原発も守る方法は無い。

どんなに真剣な態度であれ、「継戦能力」の維持を議論することなど全く意味がないのだ。

2023年5月30日 記

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