先月、約20年ぶりに5日間ほど台北に行ってきた。

以前と変わらないのは通りを疾走するおびただしい数のオートバイ・スクーターだ。

殆どが二人乗りで通勤時間帯に数十台が信号が変わると一斉に走り出す姿は壮観だ。

街にはファミリーマート、セブンイレブン、などのコンビニは勿論、ユニクロ、大戸屋、スシロー、一風堂などなど日系の商店が並び日本にいると錯覚する。

第一勧銀台北支店の担当者として出張をした当時の思い出の場所を再訪した。

中でも旧日本勧業銀行台北支店の建物の威容はそのままで現在は恐竜博物館になっている。

旧総督府など日本統治時代の建物がたくさん残っている。

旧知の97歳の女性の案内で市内を回ったが、彼女は20歳まで日本時代を経験し地元のカラオケ会では今でも「愛染かつら」を熱唱する。

町名や通りの名前も本町、表町、宮前町など今でも日本時代の名前で覚えている。

街路の名も蒋介石時代からの南京北路などより1条通りなどと旧街路名が口を突いて出る。

中正紀念堂は蒋介石の巨大な神殿だが彼女によれば戦前そこには日本陸軍連隊の家族宿舎が並んでいたそうだ。

台湾の人々の殆どは本音では北京政府とひとつになるより独立ないし独立に近い台湾のままでいたいと願っている。

大陸中国との経済的結びつきは強いので今のまま協調関係が続けばよいと考えている。

台湾有事になれば自由な生活に馴染んでいる知日派の人たちの多くが日本に移住を求めてくるかも知れない。

軍事的な危機ばかり考え沖縄へのミサイル配備しか頭にない岸田無能首相、浜田防衛相だが、彼(女)ら日本に親近感を持つ台湾元同胞(戦前は日本)が近い将来日本に移住したいと希望するのは自然だ。

その時に現在ウクライナの難民に対する以上に暖かく迎え、台湾の人が希望すれば沖縄への永住を認めるなどの度量が政府に有ろうか?

故石原都知事は中国人を差別して志那人、三国人と呼んでいた。

私はとても心もとなく思う。

旧一条通に残る林田桶店の写真

中正紀念堂内の写真

ー小林浅三郎支那方面総参謀長(右、陸士24期、陸軍中将)が降伏文書を中華民国の何応欽将軍(30年後に私も表敬訪問した蒋介石の右腕)に手渡す 1945年9月9日 南京

2023年6月19日 記

\この記事が気に入ったらぜひSNSでシェアしてください!いいねボタンも押して頂けるとうれしいです!/