―以下本日担当小倉志郎さんの寄稿文の引用―

 例によって広辞苑を参照すると「統治」とは「主権者が国土および人民を支配すること。

また、国や自治体の政治・行政活動の総称」とある。

日本では、主権者とは飛鳥・奈良時代から何と1945年の敗戦まで、天皇・藤原氏・平氏・源氏・北条・足利・徳川、そして再び天皇と変遷があったが、一貫して上流階級が世襲で主権者の座を占めてきた。

飛鳥時代は6世紀末からと言われるからその間、約1400年の時が流れた。それに対して人民(国民)が主権者の座に就いたのは新憲法施行の1947年だ。

まだ、わずか76年しか経っていない。

国民の生活にかかわる政治活動=統治=に当たる主権者は国民だという民主主義の考え方や実践が十分に普及していないのも無理もない。

一方、主権者の代理として選挙で選ばれて国会議員となり政権の座についた、政治家の方でも同様で「政府は国民を支配する権力を持つのが当然で、国民は自分たちが支配する対象だ」という考えの者が多く、特に内閣に入った議員がそうだ。

支配の対象とされた国民に対して、大臣たちが自ら決めた方針に国民がおとなしく従うようにありとあらゆる方便を駆使している。

自民・公明政権が国民に対して平然とウソ・隠蔽・詭弁を弄し、言論機関への圧力をかけ批判を封じていることがその証拠だ。

私たち国民の手には、自らの統治を自ら行える素晴らしい憲法という道具がある。

早く使い慣れて、不届きな自民・公明政権を交代させよう。

2023年7月17日 記

\この記事が気に入ったらぜひSNSでシェアしてください!いいねボタンも押して頂けるとうれしいです!/