―以下本日担当小倉志郎さんの寄稿文の引用―
日本が戦争に巻き込まれないためにはどうしたら良いか勉強したり、行動したりする、いわゆる「平和運動」を続けていると、時々奇妙であるがもっともらしい話をする人がいる。
「戦争が無いだけが平和ではない。真の平和は対立が無く、言い争いの無い状態だ。」と。
言葉には多義性があるのが当然で、平和をそのように解釈することはあり得る。
広辞苑にも「平和」について「戦争が無いこと」の他に「やすらかにやわらぐこと」という意味が示されている。
しかし、「平和」の反対語として「戦争」と「言い争い」とを並べて、「真の平和をつくるには戦争だけ反対していてはダメだ」というような印象を与える言説は平和運動にはとても悪い影響がある。
「戦争」とは国家間の殺し合いの状態だ。
「言い争い」とは個人や集団の間の言論の闘いであり、まったく次元が異なる。
どんなに激しい「言い争い」であってもそれが続いているかぎり、人が命を失うことはない。
だからこそ、憲法において「言論の自由」が保障されている。
生まれや育ちの異なる個人間、文化や歴史の違う国家間で対立が生まれることは自然なことで、これをゼロにすることなど不可能なことだ。
この対立を殺し合いによらずに解決するには、言論の次元での闘い=交渉=で解決するしかない。
戦争を絶対に防ごうとするなら、どんなに激しい言葉が出ようとそれに耐えて「言い争い」を続けることが必須だ。
2023年7月23日 記
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私は「言葉の暴力」という言い方にも疑問を感じる。暴力とは物理的な力によるもので、言葉でやり合う限り、いくら激しい言い合いでも、それは暴力にはならないのでは? どう思いますか?