昭和20年6月、ルソンの5号道路は、4号道路にかけて修羅場と化す。

5月バレテ峠を手中にした米軍は体制を整え5月末には5号道路の強行突破にかかり6月9日にはバガバックに達する。

6月下旬に「敵をバガバック平地で袋のネズミにして撃破する」作戦で動いていた日本軍は混乱の極に陥る。

そして米軍は、大量の軍需物資とともに5号道路をその手中にし、バガバックの北方で4号道路をよぎるラムット河岸に一気に押し寄せた。

ルソンの河川は雨期に顔を変える。

この地域の防衛にあたっていた勤兵団が、転進(注:撤退)作戦で上流の堰を切ったことが、水の力を一層強めたらしい。

河は奔流と化し、せっかくの仮橋も流され、敗走してきた兵士や邦人が行き場を失った。

その時である。

米軍機が河畔の群れに襲い掛かり掃討を始める。

逃げまどう人々。

そこに突入した戦車が片っ端から射ち、追い回し、挙句の果てはキャタピラで蹂躙する戦車は、悲鳴を上げて逃げまどう在留邦人の群れに、情け容赦なく機銃弾を浴びせる。

見る間にバタバタと倒れる兵たち、在留邦人たち。

これら戦力無き集団に対して敵戦車は無情にも殺戮を続ける。

我が子をかかえてすくむ母親をキャタピラでひき殺し、天蓋を開き上半身を現わし笑っている。

今ここで米軍の非人道的行為をあげたてて、日本軍の犯した残虐行為やあの戦争を正当化するつもりはない。

ここで強調したいのは戦争を語るとき、だれが残虐だったかも重要なことだが、戦争そのものが残虐を生み出すということの方が、もっと大切だ。

―引用終りー続くー

自衛隊は今ではかつての仇敵米軍の指揮命令下で中国を敵視する米軍の尖兵となるための共同訓練を重ねている。

2023年8月5日 記

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