―以下小倉志郎さんの寄稿文の引用―
毎年8月になると、様々な戦争体験をマスメディアが集中的に報道をする。
特に高齢の体験者があまりに辛い体験ゆえに話すことを控えて来たが、残り人生の短さを感じて初めて話すケースが増えている。
従って、戦後70数年を経て初めて知らされる事実もある。
先月末に友人から薦められて観たドキュメンタリー映画で、玉砕の島・テニアンで起きた集団自決を奇跡的に生き延びた家族の話には言葉を失った。
親が子を、姉が幼い弟を殺してしまったのだ。
隠れていた岩穴に逃げ込んで来た日本兵から「もう助からないから皆自決しろ」と言われたからだという。
それにくらべたら、私の体験など実に生易しい。
真珠湾攻撃の丁度6か月前に生まれた私が1945年5月末の東京南部大空襲を体験したのは3歳11カ月の時だった。
今の東京都大田区池上にあった我が家でのことだ。
座敷の南側の引き戸が全部外してあり、母と私が布団をかぶっていた。
「目と耳をこうして押さえるのよ」と母から言われた。
そう言われたが、布団の下から南の空を覗くと夜なのに全て真っ赤。
時々照明弾が降りてきて、昼間の様に明るくなる。
空の南から黒い十字形のものが回転しながら我が家に向かって次から次へと飛んでくる。
そして家の上を越えて行った。
随分後になってからそれが爆弾だったと知る。
あと何メートルか低く飛んで来たら。
母と私はその時にこの世から消えていた。運よく命を長らえた私も82歳。
残り時間を「新しい戦前」にならないよう働こうと思う。
2023年8月18日 記
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