―以下小倉志郎さんの寄稿文引用―
地球の表面を覆う無色透明の気体が空気。
その成分は約20%が酸素、約78%が窒素、残りは微量の不活性ガスや炭酸ガスだ。
日々の暮しの中でその存在を意識することはほとんどない。
しかし、空気を絶え間なく呼吸していないと私たちは命や健康を保てないのだから、その存在に感謝しても良いくらいだが、感謝もしていない。
それに似た「もの」と言うか「こと」がある。
それが「平和」だ。
それは物理的なものではなく、私たち人間集団の状態の一種だ。
それを「戦争の無い状態」とか「あらゆる争いごとの無い状態」とか定義は人によって様々だ。
私個人は前者を「平和」の定義と考えている。
例えば、夫婦喧嘩や兄弟喧嘩、あるいは、平和運動仲間の論争などの争いごとがある位は私からすれば「平和」の範囲だ。
私の定義による「平和」が失われた状態、即ち、「戦争」状態に入れば、常に命と健康を脅かされることになる。
今のウクライナの国情を見ればそれは明らかだ。
18~60歳の男性は兵士として敵軍の兵士との闘いを義務付けられ、それ以外の国民は住み慣れた家を離れて避難生活を強いられている。
今日本では自公連立政権によって、軍備が増強され、且つ、米軍と自衛隊の一体化が進み、何時でも戦争ができる状態になって、「平和」が失われる寸前まで来ている。
この「空気」のような「平和」が絶対に失われないように、今や一人ひとりが自分にできる行動を起こさねばならない時だ。
2023年10月1日 記
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