今日は入谷行脚中に中野区の同志から頂いた檄文を何回かに分けて紹介したい。

今日はその第1回

私は昨日から沖縄座間味島に来ており明日、本島に戻り辺野古、石垣島、宮古島を行脚し4日に一旦帰京。

再び6日(月)7日(火)北海道江別市へ行脚の旅に出る。

―以下桃谷具久夫氏の檄文引用―

日本は昭和20年(1945年)8月15日に敗戦となりましたが、その焦土に大きな果実のなる樹が植えられました。

その果実とは日本を恒久平和の非武装国家にする憲法9条であります。

さて今戦争体験はあるが戦争に参加はしなかった世代が人生の終末期にあります。

勝俣浩(昭和13年生まれ)は、これを「鐘の鳴る丘」世代といっています。

この世代のひとりは進駐軍兵士に直ぐに慣れてジープを追いかけ「ハローギブミー」などと言いながらチョコレートやガムを投げてもらいました。

進駐軍に接収された洋館の下水溝をつなぐ川からコンドームを拾って膨らませたり水を入れたりして遊びました。

父は戦後すぐの労働争議で職を失いサッカリンを作って売りました。

母は伯母のナイトクラブを手伝い男ができ父と毎晩喧嘩をしていました。

米兵のオンリーさんにコールドチキンをもらって余りのおいしさに、チキンの盗み食いをしてしまいました。

見つかりましたが、お姉さんはとてもやさしかったです。

父の弟は学徒動員ですぐにマニラに出征しあっけなく戦死しました。

運よく苛酷な戦地から帰国した叔父に「人肉を食べたか」と聞くと、しばらく黙って「自分は食べなかったが食べたと思われる者はいた」とつぶやきました。

―以上檄文引用ー

―続くー

座間味港の夕景、神様の贈り物(筆者撮影)

2023年10月31日

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