昨日は那覇の佐喜真美術館と対馬丸記念館を見学してから米軍基地をなくす草の根運動の一行と那覇空港で合流して辺野古新基地埋め立て現場を南側から視察した。
名護生まれの東恩納さんの解説で基地問題のこれまでの訴訟経緯を現場で聞いた。
日本の国際的信用さえ失う自民党の米国植民地的やり方に腹が立っ。
―以下桃谷氏の檄文引用―
小学校の先生は宿直室に住んでいました。
友達と泊まりに行きました。
友達は10畳部屋に家族7人で住んでいました。
中学校の担任の先生はシベリア帰りでアル中でした。
学校の正門の前でどぶに足を突っ込んで寝ていたこともありました。
シベリアでは食事を掛けてやっていたと言う麻雀を教わりました。
卒業後、数学の先生は酔っぱらって自動車にはねられ、英語の先生は転校先の学校で教え子を孕ませました。
みな学徒のまま出征した若者でした。
みんな大好きな先生でした。
お国のために命を懸けた若者たちは昭和20年(皇紀2605年)8月15日を境に、信仰し命を懸けた現人神は人になり、酔わずにはいられなかったのでしょう。
日本の武器生産がなかった歴史は1945年から1950年の僅か5年間です。
1946年に日本国憲法が公布されてから77年間、曲がりなりにも憲法9条の支えで直接的戦争はしていません。
この9条を作るにあたって支援しながら、間もなく戦争協力を強制してきたアメリカの歴史は暴力にまみれています。
反面教師とすべきです。
―以上桃谷氏の檄文引用―
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2023年11月2日 記
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