―以下小倉志郎さんの寄稿文の引用―

 1945年の敗戦から3年目に私は小学校に入学した。

私が生まれた東京の南部は敗戦の年の5月米軍の空襲によりすっかり焼け野原になっていた。

そして、所々に焼け残った鉄製の「火の見やぐら」が錆色をして立っていた。

その火の見やぐらの脇を歩いて小学校に通った。

当時は高いビルなどなく、20m位の高さの火の見やぐらで十分町内の火事の発見ができたのだろう。

火の見やぐらのてっぺんには半鐘が吊るしてあり、火事の時はそれを叩いて知らせ、町民が協力して消火したのだ。

この正月の地震と津波による被害に際して、「火のみやぐら」の役割を担えるのはヘリコプターだ。

集落の家屋の倒壊状況、海岸や山中の土砂崩れの状況、道路のひび割れや段差、電柱・電線の被害状況などなど、広い範囲にわたって上空から観察できる。

上空からのマクロな観察情報と、過去の阪神淡路大震災、中越沖地震、東日本大震災、熊本地震などの経験情報を合わせれば、能登半島のどこにどれほどの支援が必要かは普通の思考能力があれば判断できる。

地震発生直後に首相がヘリで能登半島全体の状況を把握し、各省庁に必要な指示を出せばあっと言う間に人命救助や支援物資の送り込みはできたはずだ。

実際には首相は昨日、即ち、地震発生の2週間後に初めて現地入りした。

そして「何とかします」と話した(東京新聞2024-01-14朝刊第2面)そうだ。

これでは自ら進んで被災者を救おうという熱意が無いとしか言いようがない。

2024年1月16日 記

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