―以下小倉志郎さんの寄稿文の引用―

 数日前に、脱原発や護憲運動の同志の友人(Aさん)からメールが届いた。

「知人(Bさん)から『原発を止めたら今のような生活ができなくなるのではないか』と言われました。

理解していただくには、どう反論したら良いでしょうか?」という主旨。

Bさんはどこに住んでいるのかAさんに訊くと「東京です」という。

東京ならば東電が供給する電気を使っているはずだ。

3・11フクシマ事故以来約13年間、東電は原発を運転していないが、事故以前とくらべて電力が足りなくて困ったことがあったろうか?

電力利用の点で何も困ったことはないはずだ。

Aさんが言うには「Bさんはただ漠然とそう考えているみたいです」と。

さらにAさんから「別の知人(Cさん)に戦争放棄について訊くと『攻められたらと考えるとね・・』と曖昧な返事です」と。

即ち、BさんもCさんも判断の根拠が漠然としていると。

喫茶店に入って店員から「何にいたしますか?」と訊かれて、コーヒー、紅茶、などを選ぶのなら漠然と気分で決めれば良いが、選挙でどの候補者に投票するかを漠然と判断するのは危ない。

候補者たちが当選した後で、原発利用や軍備増強などの政策を進めるかもしれないのだ。

しかし、判断する根拠が漠然とした人に反論するのは至難だ。

反論すべき根拠が漠然としているからだ。

この類の人への対応には一工夫が必要だ。

2024年2月3日 記

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