―以下小倉志郎さんの寄稿文の引用―
平和を守るためには非武装が良いという私や同志たちの主張に対して、軍備必用論者の常套句は「軍備が無くて、攻められたらどうする?」だ。
しかし、「非武装ならば外国が攻めてくる」と言う根拠を問うても、何の根拠も示さない。
ただ「攻めてくるかもしれない」と漠然と信じて居るだけだ。
一方、私たちも「非武装ならば外国は攻めて来ない」という確かな根拠を示すことはできない。
非武装で相手国に何の脅威を与えない日本には攻めてこないだろうと漠然と信じて居るだけだ。
つまり、「攻めてくる」あるいは「攻めてこない」のどちらを信じるかの違いだけで、両者ともに漠然と信じているのだ。
相手国政府は人間の集まりであるから、その思想・信条・価値観などは科学的に割り出すことなど不可能だ。
従って、「攻めてくるか、こないか」の問題は理論的に結論を出すことはできない。
そんなことで論争するのは無意味だ。
それよりも、「攻めてくる」あるいは「攻めてこない」のどちらを信じようが、武装と非武装とどちらが戦争に巻き込まれる可能性が高いか?を議論すべきだ。
それなら、結論は簡単に出る。
武装していれば戦争に巻き込まれる可能性は高いが、非武装なら戦争は不可能なのだから。
「攻めてくる」と信じている者を「攻めてこない」と反論する必要はない。
2024年2月5日 記
\この記事が気に入ったらぜひSNSでシェアしてください!いいねボタンも押して頂けるとうれしいです!/
「攻めてくる」「攻めてこない」は科学的に割り出すことはできない、と言われていますが科学的というより理論的には可能だと考えています。
それはまず攻めてくる可能性の国(仮想敵国)の国内政治状況やその国が攻めたい動機の分析、国際情勢等々感情的ではなく冷静な思考力が必要なのではないでしょうか。
次に武装と非武装についても次のような議論が想定されます。
非武装では戦争はできないが他国からの侵略によって一時的に死傷者が出る、これを許すのか?、という反論です。
もちろん私は非武装論者ですがここでもやはり他国からの侵略の可能性についての議論になり、そこでどこの国がどんな理由で日本に侵略してくるのか?その動機は?というところに来るのではないでしょうか。
さらに言えばだからこそ外交努力によって日ごろから隣国との平和的な関係(条約や国民レベルでの友好的感情)を持ち続ける必要があることも強調すべきだと思います。