―以下小倉志郎さんの寄稿文の引用―

 ウクライナ戦争が始まった時には気が付かなかったが、今にして思えば、ウクライナは米・英に「登れ」と言われて登った「梯子」を外されたのだと感じる。

2022年2月24日の戦争勃発以降、ウクライナとロシアの間で停戦交渉が複数回行われた。

特に、勃発から1ヶ月余りの頃には両国の大統領が会談するチャンスが訪れたが、米・英の働きかけで会談は流れてしまった。

米国はこれぞロシアを弱体化させるチャンスと見てウクライナに戦争継続に必要な支援をする約束をし、英国はロシアの停戦案を信用するなと忠告をした。

その頃の世界の世論は先に軍を侵攻させたロシアを悪者視し、ウクライナに同情する国が多数であったから、ロシアに対して自国の方が有利と感じたのか、ゼレンスキー大統領は妥協しかかった停戦案を捨てて、軍事力での抵抗に走ってしまった。

単独でロシアに勝てなくても、世界中の国々が支援してくれれば、軍事力でもロシアを圧倒できると思いこんだのであろう。

ところがどっこい、なぜロシアが侵攻に踏み切ったのかの経緯に関する情報が世界中に伝わるにつれ、最初にロシア非難だった国々が中立的静観と態度を変える。

最大の支援国の米国が国内世論の反対でウクライナ支援が止まるという予想外の状況まで生まれ、ウクライナは上った「梯子」を降りれない状態に追い詰められてしまった。

自国の運命を他国の支援に頼り、且つ、武力で目的を達成しようとしたゼレンスキー大統領の判断が甘かったと言わざるを得ない。

2024年3月4日 記

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