―以下小倉志郎さんの寄稿文の引用―
前回、「信頼できる人間関係のネットワークを通じての情報交換に頼る他はない」とさらりと書いたが、これは「やろう」と思っても簡単にできることではない。
例によって広辞苑によれば信頼とは「信じて頼ること」とある。
それができる相手はこの世の中にめったにいない。
とすれば、そういう複数の相手とネットワークをつくり情報交換するのも至難だ。
では、諦めるか?
それはできない。
日本社会のあり様を認識するためには絶対に必要なことなのだから。
信じて頼ることのできる相手をどうしたらつくることができるか?
私の体験から言えば、小学校、中学校、高校の時代から付き合い始め、今でも付き合っている友人たちには信頼できる人が比較的多い。
しかし、企業に就職してからの同僚たちの中には、いることはいるが学友たちに比べると少ない。
この差は、企業内の同僚たちの間には「出世競争」という「信じて頼る」ことをやり難くする習慣が定着していることによるのだろう。
企業以外の組織、例えば、官僚組織内でも同様だろう。
個人レベルでの信頼関係を作るのが至難であれば、国家と国家の間の信頼関係はさらに気が遠くなるほど難しいに違いない。
しかし、信頼関係が確保された国家同士になれば、戦争は絶対に起きない。
どんなに難しくても、戦争を避けるために、先ずは身近なところから信頼関係をつくって行かねばならない。
2024年4月13日 記
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少中高時代の友人と会社に入ってからの友人との信頼関係が異なる理由の一つは会社では仕事のこと以外ほとんど個人的な話を
しないからでしょう。
特に昭和の男社会ではまるで裃を着ているように本音を言わず上下関係に縛られていたからだと思います。
現代の若者の世代は全く違っているのかもしれませんが、やはり本音で言い合う文化はまだ日本では生まれていないように思います。
小倉さんのおっしゃるとおり国家間の信頼関係を築くのは政府の役割であることから、その政府の考え方に左右されます。
自民党政権のようなアメリカべったりの外交姿勢では期待できませんね。
解決方法は文化、芸術、スポーツなどの分野での交流を盛んにすることと、できれば個人レベルで友人を作ることでしょう。
個人レベルで知人友人を作るのもそんなに難しいことではありませんがその方法はまた別の機会に・・・。