-以下小倉志郎さんの寄稿文の引用―

 昨年8月、「短絡」という題で投稿した。

そのつづきだ。

「短絡」とは電気回路で絶縁が破壊されて異常な電流が発生する場合を言うが、人間の考え方や行動に対しても使うことがある。

例によって広辞苑によれば「(比喩的に)単純には結びつかない関係にある二つの物事を、直接簡単に結びつけて論じること」とある。

その典型が「安全保障」と「軍備」の関係だ。

ウクライナ戦争の勃発以降「安全保障環境が厳しくなった」と日本政府は軍事予算の倍増を目指す決定をした。

諸外国を「仮想敵」と想定すること自体確かな根拠があるわけではないが、日本の言論界では「仮想敵」が保持する軍備と日本の軍備をやたらに詳しく比較して、どちらが強力か否かを論じる人物が「安全保障」の専門家であるかのように見なされている。

しかしながら、ウクライナ戦争やガザでの戦争をみれば、軍備を持ち、それを使ったがために同地の人々は守られるどころか命を失い、生き延びたとしても地獄の苦しみを味わっている。

即ち、軍備は安全保障に何の役にも立たないことが実証されてしまった。

とすれば、今後は軍備によらない安全保障論を展開すべきだ。

実は、そのような安全保障論が既に生まれている。

それは花岡しげる氏によるものであり、著書「新版・自衛隊も米軍も、日本にはいらない!」(花伝社)にわかり易く提示されている。

2024年5月27日 記

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