―以下小倉志郎さんの寄稿文の引用―
広辞苑には「ゲーム」とは「遊戯」「勝負事」「競技」「試合」と書かれている。
そこには「戦争」という言葉は無い。
しかし、戦争が始まれば参加している各国の首脳たちにとって「勝利」が目的になる。
この点が「ゲーム」と共通する。
従って、広い意味では「戦争」も「ゲーム」の一種と言える。
ウクライナのゼレンスキー大統領は欧米諸国からの兵器・弾薬供給が十分あればロシアに勝てると公言している。
この大統領が勝利を国民の命を守ることより優先させていることは明らかだ。
実は、この考え方は非常識ではなく、過去の戦争において当事国の首脳たち皆が持っていた。
第二次世界大戦中の日本もしかりだ。
何しろ、兵士には「生きて捕虜になるな」と命じ、一般国民の大人には「逃げないで消火活動をしろ」と命じたのだ。
日本各地が米爆撃機による空襲により、1944年末から1945年8月までの1年間にも満たない期間に約200万人が犠牲になったと言う。
もちろん、最後はヒロシマ・ナガサキの原爆投下での大量死だ。
その時点でも、軍人たちは死ぬまで戦う「本土決戦」を主張したのだ。
自民党の憲法草案を読むと、自衛隊を正規軍としてその職務が書かれているが、「国民を守る義務」は書かれていない。
敵国軍に勝つためにできることが書かれているだけだ。
「やられたら、やり返すのは当然」と公言するのが自民党の幹部だ。
戦争をゲーム感覚でとらえる自民党の改憲案に乗ってはいけない。
2024年6月2日 記
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